序文
超党派の国会議員より成る「尊厳死法制化を考える議員連盟」から提案された「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)」(以下、「法律案」とも略することがある)に対して、患者の尊厳に配慮した医療の実践をその理念としている日本臨床倫理学会がコメントをすることは、たいへん重要である。 日本臨床倫理学会理事会およびクイックレスポンス部会の、現時点におけるコメントは以下のとおりである。今後、日本臨床倫理学会として、より多くの会員の意見を聴取し、議論を積み重ね、コメントを更新していく予定である。
なお、第2回年次大会に際して、「尊厳死法案に関するアンケート」に御協力いただいた会員のみなさまにここで感謝の意を表したい。
日本臨床倫理学会理事会およびクイックレスポンス部会は、以下の理由で、「尊厳死法案(終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案)」は、さらに広く国民の声を聴取し、熟慮を伴った深い議論の積み重ねが必要であると考える。
(1)「法制化」そのものが内包する根源的ジレンマ
まず、「法律を作れば、尊厳に沿った医療が実施される」というのは、いささか楽観的であり安易すぎる。当該、尊厳死法案を見ると、「診療上必要な注意を払う(第4条)」、「傷病について行い得る全ての適切な医療上の措置(第5条)」、「回復の可能性がなく(同条)」「死期が間近(同条)」等の文言は、法的には価値的判断を内包しており、相当の解釈の幅がある言葉や概念である。しかし、実際の臨床事例は、これらの幅の中で生ずる、いわばボーダーライン上のものが多く、それ故に、現場の医療者はジレンマに悩んでいるのである。医療の専門家である医療者が「どちらの方針が正しく、どちらが正しくないか」が一見しただけでは判然とせず、これらについて悩まなければならないケースが、臨床現場では溢れている。したがって、法を作ることで、臨床実践に関わる問題を解消することにはならず、かえって、その解釈と適用において、問題を生ずることが相当の確度で想定できる。
(2)思考プロセスのマニュアル化・ショートカット化
法を作ることで、これまで真剣に終末期の問題を考え、悩んできた医療者だけでなく、他の多くの医療者が、命に関わるジレンマを意識することなく、深く悩む過程を経ないで、思考プロセスを、マニュアル化あるいはショートカット化してしまう可能性がある。
終末期の事例だけでなく、臨床事例は、医学的事項および倫理的価値に関する事項(患者本人の価値観など)すべてにおいて、ケースごと個性がある。しかし、法を作ることによって、ただ、その法の要件を満たすかどうかという点のみに焦点が当てられ、「患者本人のために考える」という視点が忘れ去られ、終末期医療に関する議論の質も量も低下する、いわゆる思考プロセスのマニュアル化・ショートカット化が起こる可能性がある。
また、患者が延命措置の不開始・中止について一旦書面化すると、以後、「その時の」「本人の最善の利益」「治療の有益性」について十分に考慮されることなく、「本人が書いたから・・」と言う理由で、周囲の状況の変化に応じて治療が必要となる事態が生じても、治療が実施されない可能性も出てくる。したがって、「本人のかつての意思表示」が「現在の最善の利益」と矛盾しないかどうかを、事前・事後に適切に評価できるシステム(倫理委員会や倫理コンサルテーションなど)の構築が必要となる。
今後、このような意思決定手続が公正であることを確保するためには、さらに規定が必要であると考えられるが、現時点では、終末期医療に関するガイドラインを参照し、個別のケース毎、現場で話し合うこと(倫理カンファレンス・倫理コンサルテーション等)が現状に即した方法と云えるだろう。
(3)強要の無い自己決定の保障が必要であること
法律案も、「患者の意思に基づくこと」「患者の意思を十分に尊重すること」については適切に言及しているが、それが「真に自由な自己決定」であるかどうかについて、さらなる配慮が必要であろう。終末期医療を受けることや継続することによる経済的負担や家族の介護負担を患者が心配するあまり、「他者(家族)のために決定」してしまう危険性もある。
医療者は患者に対して十分な情報提供を実施し、患者はそれをもとに自発的な意思表示をすることが倫理原則に即した適切な意思決定プロセスである。この意思決定のプロセスにおいて、患者が家族や親しい人々に相談する機会を持てるようにしたり、医療者との対話をより深めることが重要である。その結果、患者が自身にとって不利な治療法を選択した場合には、医療専門家の良心として説得をする必要があるであろうし、この説得により、患者の価値観は変化する余地があり、決定の変更を促すことも可能である。そして最終的に患者が治療方針について同意・決定をするといったインフォームドコンセントの本質を具現した意思決定プロセスでなければならず、決して強制・強要を伴ったものであってはならない。このように、終末期の意思決定に関しては、十分なコミュニケーションの機会が保障される意思決定支援のプロセスが必要である。
また、患者団体が危惧する「治療をしないことの強要」を防ぐためにも、「治療を望むという患者意思がある場合にはそれを尊重すること」を明確にしておく必要がある。
(4)「終末期の定義」の曖昧さ・不確実性
「終末期の定義(第5条)」に関しては、上述のように「傷病について行い得る全ての適切な医療上の措置」「回復の可能性がなく」「死期が間近」等の文言は、医学的な不確実性を伴うと同時に、法的にも、相当の解釈の幅がある言葉・概念である。また、倫理的にも「どのような状態を終末期と考えるか」については、それぞれの患者の望む終末期のQOLや、患者の目指す治療のゴールによっても異なってくる。
したがって、「終末期の定義(同条)」が曖昧である以上、「終末期に係る判定(第6条)」も曖昧になり、常に困難を極める。すなわち、前述したように「ボーダーラインのケースが多い」ということである。現実には、「終末期」は疾患の種類・病状・患者の価値観などにより、ケースごとに異なり、カンファレンスや倫理コンサルテーションなどにより個別の判断が必要ということになる。
なお、第5条の文言中には以下の矛盾がある。
第5条第3項には、「延命措置の不開始とは、終末期にある患者が現に行われている延命措置以外の新たな延命措置を要する状態にある場合において・・・」と、
第5条1項には、終末期が、「患者が傷病について行い得る全ての適切な医療上の措置を受けた場合であっても、回復の可能性がなく、かつ、死期が間近であると判定された状態にある期間をいう」とするが、これは終末期においては全ての治療が無益であることを意味しているので、第5条第3項にいうような「終末期の患者が新たな延命措置を要する状態」にはなり得ないということになる。
(5)国会審議のプロセスの問題
終末期医療について多方面から議論する国会のプロセスは欠いたままである。したがって、議論を欠いたままで、法律案について審議することは不適切である。
実際、終末期における治療方針決定については、前述したように、医療現場においても、二者択一の選択が躊躇なく確実にできるというものではなく、患者・家族と同様に、医療者サイドも倫理的ジレンマに苦しみ悩んできたのである。
このような実情を踏まえ、臨床現場では、医学的事実を適切に評価する努力を重ね、かつ倫理的ジレンマを生じやすい「積極的安楽死」「消極的安楽死」「DNAR蘇生不要指示」や、「withhold(治療の差し控え)」と「withdraw(治療の中止)」、「作為」と「不作為」、「予見」と「意図」、すべり坂議論等などについて、医学的視点からだけでなく、法的・倫理的視点からも慎重に議論をしながら、倫理コンサルテーションなどを通じてコンセンサスを形成するという活動を、地道に実施してきたし、今後もこのような努力を積み重ねるべく活動をしている。しかし、今回の法律案の審議は、このような医療現場における成果の積み重ねを共有することなく、議論を性急に進めている感があり、適切であるとは思われない。
さらに、患者団体が主張するように、終末期での判断を差し迫った問題として考えてきた患者サイドの意見の聴取も十分ではなく、国民的な議論が尽くされているとは言えない。このような「いのち」に関わる問題は、熟成した議論がないまま多数決、あるいは法として採択されるか否かという形で解決をする問題とはいえないだろう。
(6)終末期の医療に関する啓発(第11条)についての問題点
法律案第11条にあるように、国民に対する「終末期の医療に関する理解・啓発」は確かにたいへん重要な事項である。また、同条にあるように「延命措置の不開始を希望する旨の意思の有無を運転免許証および医療保険の被保険者証に記載・・・」することは、一つの簡便な啓発方法かもしれない。しかし、この「運転免許証および医療保険の被保険者証に記載・・」には、「終末期医療の意思決定プロセス」の理解に関して、根本的かつ重大な瑕疵を導いてしまう危険がある。
ここでの方法は、運転免許証等に二者択一的、あるいは〇×式に記載する方法になると考えられるが、各人の置かれた将来の状況を想定しながら、具体的な話し合い(対話・コミュニケーション)がなされるということが保障されず、適切な意思決定プロセスが実現されない可能性がある。ときに直観(感)的に記載がなされる可能性さえもある。終末期医療に関する事前指示に当たる「免許証等への記載」は、人生の最期の医療だけでなく、人生の最期の生き方を決めること(アドバンスケアプランニング)になるので、関係者間におけるコミュニケーションツールとして十分に機能する環境を整備しなければならない。 終末期医療の意思決定において重要なのは、患者本人の価値観や人生観・望むQOLや治療目標についての十分なコミュニケーション、つまり対話のプロセスそのものである。関係者が、患者本人に対して共感をもち、皆で話し合うことである。したがって、適切な意思決定プロセスが実践されることを保障しないままで、運転免許証等への記載に効力を持たせることには、倫理的観点から、大きな問題をはらんでいると考えられる。
(7)「本当に国民の真意かどうか」を見極める
厚生労働省のアンケート結果では、一貫して、一般国民、医師、看護師等は、法の規定は不要と考えていることから、本法律案は、一部の「患者家族」と一部の「医師ら」の要望である可能性がある。
人生の最終段階における医療に関する意識調査報告書(平成26年3月・終末期医療に関する意識調査等検討会)の問いと結果は以下のとおりである。
- (3)意思表示の書面に従った治療を行うことを法律で定めることについて
- 『問3 :あなたは、自分で判断できなくなった場合に備えて、どのような治療を受けたいか、あるいは受けたくないかなどを記載した書面に従って治療方針を決定することを法律に定めてほしいと思いますか。(○は1つ)』
- 【結果:一般国民では「定めなくてもよい」が42.6%、「定めるべきではない」が10.6%であった。医療職・介護職ではこれらの回答の割合がさらに高く、中でも医師は「定めなくてもよい」が48.8%、「定めるべきではない」が22.5%であった。前回はリビングウィルの取扱いについて尋ねており、リビングウィルに賛成する61.9%の国民のうち、62.4%が法制化に消極的であった】
したがって、本法律案が、本当に国民が望んでいるものなのかどうかについて再検討し、慎重に国民等の考えを見極める必要があるであろう。
(8)いわゆる尊厳死法案(仮称:「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案」)を法制化する基盤が未だない
日本弁護士連合会会長声明に述べられているように、『尊厳死法案は、これに先立って実施されるべき制度の整備がまったくなされていない状況下で提案されたもので、いまだ法制化を検討する基盤がなく、また、「尊厳死」の法制化は、医療のみならず社会全体、ひいては文化に及ぼす影響も大きい重大な問題であり、その是非や内容、あるいは前提条件などについて、慎重かつ十分な国民的議論が尽くされることが必須である』は、臨床倫理の視点からも、的を得ていると思われる。
「延命措置の不開始・中止の希望」を法制化する前に、患者の意思(自己決定)を尊重すること(例;米国の患者自己決定権法Patient Self Determination Act)や事前指示の法制化、医療に関する代理判断者の指名の制度構築、インフォームドコンセントの権利の保障、適切な医療を受ける権利の保障などがなされる必要がある。
また、「終末期」についてだけ法律を作ることでは不十分である。本法律案が想定する「高齢者の終末期」だけが、患者意思が尊重されるべき問題であるわけではなく、難病においても、また、小児においても、さらには、終末期に関わらない、通常の治療の選択等においても、患者の意思は尊重されるべきであり、本法律案の以前に、患者の意思決定権法等の基本法が先行すべきである。
(9)DNAR指示(蘇生不要指示)との関係
本法律案と、DNAR指示との関係については、十分に考慮しなければならない。
DNAR指示(=Do Not Attempt Resuscitation)は、『疾病の末期に、救命の可能性がない患者に対して、本人または家族の要望によって、心肺蘇生術を行わないことを指す。これに基づいて医師が指示する場合をDNAR指示』と言う (1995 日救急医会誌)。DNAR指示を出している病院数は、救急を実施している病院では92.9%(2007)、最近では96%以上という報告もあり、相当数の病院で日常的にDNAR指示が出されていると推測される。 しかし、このDNAR指示に関する解釈が、医療者個人ごとに異なっており、DNAR指示によって、心肺蘇生術(CPR)以外の生命維持治療、例えば人工呼吸器・気管内挿管・アンビュー・人工透析・昇圧剤・抗生剤投与・経管栄養・補液・検査・利尿剤・抗不整脈剤などと言った様々な生命維持治療も制限されてしまっているという現実があり、これでは実質的な延命治療の差し控え・中止となってしまっている可能性があると指摘されている。
このようにDNAR指示によって、「治療の不開始」は既に日常的に日本中の多くの医療機関で(時には、残念ながら、十分な医療者と患者・家族とのコミュニケーションのプロセスがないまま)実施されているという現実があるが、この事実を謙虚に受け止め、これらの日常臨床の実情を非難するだけではなく、より適切なDNAR指示の実践(延命治療の差し控え・中止)に向けて、コンセンサスを得ることが必要である。
したがって、適切なDNAR指示を出すためには、患者の自律(Autonomy)を尊重し、適切な意思決定のプロセスを踏むことが重要であり、本法律案が、終末期における適切な意思決定プロセスを十分に保障するかどうかは、大きな影響を及ぼす。なお、上記の趣旨のもと、現在、日本臨床倫理学会は「DNAR指示に関するワーキンググループ」を組織し、DNAR指示に関する基本姿勢・ガイダンスおよび書式を作成中である。
(10)その他
①免責規定
②第三者評価規定の不存在
上記①②については、さらに詳細な議論が必要であろう。
③第13条2項「適応上の注意等」について
『この法律の規定は、この法律の規定によらないで延命措置の不開始をすること、及び終末期にある患者に対し現に行われている延命措置を中止することを禁止するものではない。』とあるが、「この法律の規定による場合」は、「患者本人が任意に意思決定をし、書面に表示している場合」であり、また、「この法律の規定によらない場合」とは、例えば、「本人意思が不明」「本人が書面による意思表示していない場合」などが想定される。
しかし、実際の臨床現場には、こういった「この法律の規定によらない場合」のケースがたいへん多く、このような大多数のケースに対して、適切な対応が出来なければ、本法律案の趣旨である「適切な終末期医療」が実現されているとは言えない。現実には数が多い「この法律の規定によらないその他の場合」についても、さら議論・熟慮がなされる必要がある。
★国民の関心が高い終末期医療を適切に実践することの重要性に鑑み、「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)」に対する上記のコメントは、今後、より多くの会員の声を集め、議論を積み重ね、更新・洗練させていく予定である。
日本臨床倫理学会の会員の皆様に、さらなるご協力・ご助言をお願いする次第である。
日本臨床倫理学会 | 理事長 | 新田 國夫 | ||
副理事長 | 呉屋 朝幸 | 富田 博樹 | ||
総務担当理事 | 箕岡 真子 | |||
理事 | 稲葉 一人 | 宮武 剛 | 有賀 徹 | |
今井 幸充 | 繁田 雅弘 | 三浦 靖彦 | ||
太田 秀樹 | 大澤 誠 | 杉谷 篤 | ||
松本 武敏 | 山口 武兼 | 藤島 一郎 | ||
クイックレスポンス部会 | 山路 憲夫(理事) | 池田 徳博(評議員) |